答。如理の苦治は、即ち佛敎に順ぜり、若し非理の惱亂は、還て聖旨に違す。故に相違せざるなり。月藏分(大集經卷五四)に佛の言ふが如し。「國王・群臣は、出家の者の大罪業たる大殺生・大偸盜・大非梵行・大妄語及び餘の不善を作すを見ば、是の如き等の類は、但當に法の如く國土・城邑・村落を擯出して、寺に在ることを聽さざる。亦復僧の事業を同じくすることを得ざれ。利養の分悉く共に同じくせざれ、鞭打することを得ざれ。若し鞭打せば、理應ぜざる所なり。又亦口もて罵辱すべからず、一切其の身に罪を加ふべからず。若し故らに法に違して罪を讁むれば、是の人は便ち解脱に於て退落し、必定して阿鼻地獄に歸趣せん。何に況や佛の爲に出家して、具に戒を持てる者を鞭打せんをや」と。略抄  問。人間の擯治は差別然るべし、非人の行、猶未だ決了せず。『梵網經』には一向に跡を拂ふ、『月藏經』には一向に供給す。那ぞ忽ち乖角せるや。答。罪福の旨を知らんが爲には、要ず須く人の行を決すべし、必ずしも非人の所行をば決すべからず。若しは制若しは開、各々巨益を生ず。或は復人の意樂の不同なるが如く、非人の願樂も亦不同なるのみ。學者應に決すべし。 問。因論生論、彼の犯戒の出家の人に於て、供養し惱亂せば、幾の罪福をか得るや。答。『十輪經』(卷四)の偈に云く。「恒河沙の佛の解脱幢相の衣を被たり、此に於て惡心を起さば、定んで无間獄に墮ちなん」と。袈裟を名けて解脱幢衣と爲す 『月藏分』(卷五四)に云く。「若し彼を惱亂せば、其の罪万億の佛身の血を出す罪よりも多し、若し之を供養せば、猶无量阿僧祇の大福德の聚を得」と。取意  問。若し爾らば一向に應に之を供養すべし。何ぞ之を治して大罪報を招くべきや。答。若し其の力有りて之を苦治ずば、彼も亦罪過を得。是佛法の大なる怨なり。故に『涅槃經』の第三(南本卷三)に云く。「持法の比丘は戒を破り正法を壞る者有るを見ては、即ち應に驅遣し呵嘖し擧處すべし。若し善比丘、壞法の者を見て、