能く其の德義を稱量すること无けん。何に況や聞き已りて即ち受持せんをや」と。四十里・四百里・四千里を以て遠方と爲すなり  問。何等の敎文か念佛に相應せるや。答。前に引く所の西方の證據の如きは、皆是其の文なり。然れども正しく西方の觀行并びに九品の行果を明かすことは、『觀无量壽經』一卷、畺良耶舍譯すには如かず。彌陀の本願并びに極樂の細相を説くことは、『雙卷無量壽經』二卷、康僧鎧譯すには如かず。諸佛の相好并びに觀相の滅罪を明かすことは、『觀佛三昧經』十卷或は八卷、覺賢譯すには如かず。色身・法身の相并びに三昧の勝利を明かすことは、『般舟三昧經』三卷或は二卷、支婁迦譯『念佛三昧經』六卷或は五卷、功德直、玄暢と共に譯すには如かず。修行の方法を明かすことは、上の三經并びに『十往生經』一卷『十住毗婆娑論』十四卷或は十二卷、龍樹造り、羅什譯すには如かず。日日に讀誦せんには、『小阿彌陀經』一卷、羅什譯すには如かず。偈を結びて惣じて説くことは、『无量壽經優婆提舍願生偈』或は『淨土論』と名け、或は『往生論』と名く、世親造り、菩提留支譯す、一卷には如かず。修行の方法は多く『摩訶止觀』十卷及び善導和尚の『觀念法門』并びに『六時禮讃』各一卷に在り。問答料簡は多く天台の『十疑』一卷道綽和尚の『安樂集』二卷慈恩の『西方要決』一卷懷感和尚の『群疑論』七卷に在り。往生の人を記するは多く迦才師の『淨土論』三卷并びに『瑞應傳』一卷に在り。其の餘は多しと雖も要は此に過ぎず。 問。行人自ら應に彼の諸文を學ぶべし。何が故ぞ今勞はしく此の文を着すや。答。豈前に言はずや。予が如き者廣文を披くこと難きが故に、聊か其の要を抄すとや。 問。『大集經』(卷四四意)に云く。「或は經法を抄寫するに、文字を洗脱し、或は他法を損壞し、或は他經を闇藏せり。此の業縁に由て今盲の報を得」と。云云 而るに今經論を抄するに、或は多くの文を略し、或は前後を亂る、應に是生盲の因なるべし。何ぞ自ら害することを爲すや。答。天竺・震丹の論師・人師、經論の文を引くに、多く略して意を取れり、故に知んぬ、經旨を錯亂す。