即ち彼の國に生れて、長時永劫に常に無爲の法樂を受く。乃至成佛までに生死を經ず、豈快に非ずや。應に知るべし。」
私に云く。此の文を見るに、彌々須く雜を捨てて專を修すべし。豈百即百生の專修正行を捨てて、堅く千中無一の雜修雜行を執せむや。行者能く之を思量せよ。

[三、本願章] 
  彌陀如來、餘行を以て往生の本願と爲したまわず、唯念佛を以て往生の本願と爲したまへるの文

『無量壽經』の上に云く。「設ひ我佛を得んに、十方の衆生、心を至し信樂して我が國に生れんと欲ひて、乃至十念せん、若し生れざれば、正覺を取らじ」と。
『觀念法門』に上の文を引きて云く。「若し我成佛せんに、十方の衆生、我が國に生ぜんと願じて、我が名字を稱せんこと、下十聲に至るまで、我が願力に乘じて、若し生れざれば、正覺を取らじ」と。
『往生禮讃』に同じく上の文を引きて云く。「若し我成佛せんに、十方の衆生、我が名號を稱せんこと、下十聲に至るまで、若し生れざれば正覺を取らじ。彼の佛今現に在まして成佛したまへり。當に知るべし、本誓重願虚しからざることを。衆生稱念すれば必ず往生することを得」と。
私に云く。一切の諸佛に、各々總別二種の願有ます。總といふは、四弘誓願是なり。別といふは、釋迦の五百の大願、藥師の十二の上願等の如き是なり。今此の四十八の願は、是彌陀の別願なり。 問て曰く。彌陀如來、何れの時何れの佛の所にしてか此の願を發したまへるや。答て曰く。『壽經』(大經卷上)に云く。「佛、阿難に告げたまはく。乃往過去久遠無量、不可思議無央數劫に、錠光如來、世に興出して、無量の衆生を敎化し度脱して、