皆道を得せしめて乃ち滅度を取りたまひき。次に如來有ます、名づけて光遠と曰ふ。乃至 次を處世と名く。此の如きの諸佛、五十三佛なり 皆悉く已に過ぎたまひき。爾の時に次に佛有ましき、世自在王如來と名づけたてまつる。時に國王有り、佛の説法を聞きて、心に悅豫を懷き、尋ち無上正眞道の意を發し、國を棄て王を捐て、行じて沙門と作り、號して法藏と曰ふ。高才勇哲にして、世と超異せり。世自在王如來の所に詣る、乃至 是に於て世自在王佛、即ち爲に廣く二百一十億の諸佛刹土の、天人の善惡、國土の麁妙を説きて、其の心願に應じて、悉く之を現じて與へたまふ。時に彼の比丘、佛の所説を聞きて、嚴淨の國土、皆悉く覩見し、無上殊勝の願を超發す。其の心寂靜にして、志所着無し、一切の世間に能く及ぶ者無し。五劫を具足し莊嚴佛國の淸淨の行を思惟して攝取す。阿難佛に白さく。彼の佛の國土の壽量は幾何ぞや。佛言く。其の佛の壽命は四十二劫なりき。時に法藏比丘、二百一十億の諸佛の妙土の淸淨の行を攝取す」と。已上 『大阿彌陀經』(卷上)に云く。「其の佛即ち二百一十億の佛國土の中の諸天・人民の善惡、國土の好醜を選擇して、心中所欲の願を選擇せしむ爲に。樓夷亙羅佛、此世自在王佛を云ふ 經を説きたまふこと畢りて、曇摩迦、此法藏を云ふ 便ち其の心を一にして、即ち天眼を得て、徹視して悉く自ら二百一十億の諸佛國土中の諸天・人民の善惡、國土の好醜を見て、即ち心中の所願を選擇して、便ち是の二十四願經を結得す」と。『平等覺經』亦復之に同じ 此の中に、選擇といふは、即ち是取捨の義なり。謂く二百一十億の諸佛の淨土の中に於て、人天の惡を捨て、人天の善を取り、國土の醜を捨てて、國土の好を取るなり。『大阿彌陀經』の選擇の義是の如し。『雙卷經』の