是の故に大悲の願を興したまへり。願は我が國土、佛法を以てし、禪定を以てし、三昧を以て食と爲して、永く他食の勞いを絶たむ。「愛樂佛法味」は、日月燈明佛『法華經』を説きしに六十小劫なり、時會の聽者亦一處に坐して六十小劫なり、食頃の如しと謂ふ。一人として若は身、若は心をして懈惓を生ずること有ること无きが如し。「禪定を以て食となす」といふは、謂く諸の大菩薩は、常に三昧に在て他の食无きなり。「三昧」は彼の諸の人天若し食を須ゐる時、百味の嘉餚羅列して前に在り。眼に色を見、鼻に香りを聞ぎ、身に適悅を受て自然に飽足す。訖已ば化して去す、若し須ゐるには復現ず。其の事經に在り。是の故に「愛樂佛法味禪三昧爲食」と言たまへり。
永離身心惱 受樂常无間
此の二句は莊嚴无諸難功德成就と名く。佛本何が故ぞ此の願を興したふと。有る國土を見そなはすに、或は朝には袞寵に預かって夕には斧鉞に惶く。或は幼くしては蓬藜を捨て、長じては方丈を列らぬ。或は笳を鳴して麻を出て歴經し催還すと噵ふ。是の如き等の種種の違奪有り。是の故に願は言たまはく。我が國土は安樂相續して畢竟じて間无らしめと。身惱は飢渇・寒熱・殺害等なり。心惱は是非・得失・三毒等なり。是の故に「永離身心惱受樂常无間」と言たまへり。
大乘善根界 等无譏嫌名 女人及根缺 二乘種不生
此の四句は莊嚴大義門功德成就と名く。門は大義の門に通ずるなり。大義は大乘の所以なり。人城に造て門を得れば則ち入るが如し。若し人安樂に生を得れば是れ則ち大乘の門を成就するなり。佛本何が故ぞ此の願を興したまふと。